2006年05月05日

東京バラライカアンサンブルについて

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創立20周年記念CD

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  2002/10/27 なかのZERO 大ホールにて収録
  指揮・編曲  :北川 つとむ
  ソプラノ   :伊藤 ちえ
  メゾ・ソプラノ:天野 加代子
  合唱指揮   :藤本 敬三
  合唱     :合唱団白樺
  収録曲    :
          「祝典ポロネーズ」  V・アンドレーエフ
          「夕べの鐘」     A・モソロフ
          「小川に沿って」   ロシア民謡
          「黒い瞳」      ロシア民謡 他
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マリア・グーセヴァジョイントコンサートCD

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  2003/05/10 豊島公会堂にて収録
  ドムラ    :マリア・グーゼヴァ
  ピアノ    :スビャトスラフ・リプス
  ソプラノ   :伊藤 ちえ
  メゾ・ソプラノ:天野 加代子
  合唱     :合唱団白樺
           (指揮:藤本敬三・ピアノ:石川真澄)
  東京バラライカ・アンサンブル
           (指揮:北川つとむ)
  収録曲:
          「ラ・カンパネラ」     N・パガニーニ
          「ドムラ協奏曲第3楽章」  G・シェンデリョフ
          「ドムラ変奏曲 若草」   A・ツガンコフ
          「百万本のバラ」      R・パウルス 他
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バラライカ教本

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著  :  北川つとむ
 
参考曲:
     「アルバムの一葉」   V・アンドレーエフ
     「マズルカ第3番」   V・アンドレーエフ
     「花と白樺」      A・トロヤノフスキー
     「セレナーデ」     M・イグナティエフ
     「ヴァリンカ」     A・トロヤノフスキー
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バラライカの歴史

北川つとむ著「バラライカ教本」より

アンドレーエフ以前
 「バラカーチ」(ロシア語で、おしゃべりをするの意)を語源とするバラライカの歴史は、17世紀に初めて文献に登場するといわれているが、オシポフ名称民族楽器オーケストラの主席ソリスト、A.チホノフ氏によると4世紀にもその存在が認められているという.これは、詳しい資料がないので明らかでないが、ロシアの一般家庭において広い普及をしたのは18世紀中頃である.
 モスクワのバラライカ奏者、E.アフクセンチェフ氏によって書かれた資料によると、イワン・ハンドシキン(1749年〜1804年)なるバラライカの名手が、18世紀後半に登場している。
 その頃は、未だ金属製による半音階のフレットはついておらず実に粗末な作りであったが、バラライカの「第一期全盛時代」ともいえるだろう。
 さて、19世紀に入ると、まず7弦ギターが、そして少し遅れてアコーディオンが広く普及され、バラライカは幼稚な、また卑しい農民の楽器として、約1世紀にわたって不遇の時代を送ることになる。が、19世紀後半には、V.アンドレーエフ(1861年〜1918年)によって改良がなされ、バラライカは、第二の全盛期を迎えることになる。

「バラライカの父」V.アンドレーエフ
 ワシーリィ・ワシーリェウ゛ィッチは、1861年1月、現在のカリーニン州ベーズェツク市に生まれた。
 幼少より、ピアノやギターに親しみ、18歳よりヴァイオリンを専門的に習い始めた。が、音楽は好きなのだが、職業としてはと悩んでいた頃、故郷の畑から聞こえてくるバラライカの音を聞き、衝撃を受ける。
 22歳のときであるが、このときの感動をアンドレーエフは次のように述べている。
その響きは、労働者用の離れの一つから聞こえてきました。
私は飛び上がって、その響きの聞こえてくる離れへ駆けつけました。
みると、一人の農民、アンチープが昇降口の階段に腰を下ろして、
弾いているのがーーーバラライカなんです。 
私は、そのバラライカの弾き方のリズム感と独創性にびっくりし、
また、弦がたった3本しかない、見るからにみすぼらしいこのような
不完全な楽器がどうしてこれほどの響きを出せるのか、
どうしても理解できませんでした。

 アンドレーエフについて書くと一冊の本になってしまうが、この後「農民の楽器」 という強い偏見と闘いながらも、アンドレーエフは楽器の改良を重ね、バラライカの 普及につとめていく。
 1888年の歴史的な演奏会を皮切りに、アンドレーエフは「大ロシア・オーケストラ」 を連れて1900年にフランス、1908年ドイツ、1909年イギリス、 1910年 にはドイツ、イギリス、フランスをアンコール公演。 1910年から11年にはアメリカを巡演し、どの国でも大成功をおさめている。
 作曲家として多くのバラライカの作品を残し、ロシア民族楽器の演奏法、オーケスト レーションの解説、そして様々な公演資料を2冊の本にまとめあげたアンドレーエフは、 10月革命翌年の1918年、永遠の眠りについた。
 葬儀には、多くの人々が参列したが、棺を運んだのはアンドレーエフによってその才能を 見いだされた歴史的なバス歌手、F.シャリアーピンであった。

アンドレーエフ以後
 時代はソウ゛ィエト政権となるが、アンドレーエフ亡き後もバラライカは確実な発展 を見せている。民族楽器オーケストラには、2つのグースリ(撥弦と鍵盤)やバヤン、 ウラジミールホルン、ジャレイカ等の管楽器が加えられ多くの作曲家が、民族色濃い名 作の数々を残している。
 また、バラライカの独奏においては、B.トロヤノフスキー(1883年〜1951年) が多くの奏法を考案し、チャストゥーシカ(村のはやし歌)をバラライカ用に編曲した 曲集は今でも音楽院のテキストとして使われている。
 また、1933年に発表された、S.ワシレンンコ作曲の「バラライカとシンフォニー ・オーケストラの為の協奏曲」は4年に1度行われる民族楽器コンクールの、バラライカ 部門課題曲にもなっている。
 さて、アンドレーエフ以後のバラライカの歴史として興味ある事実を最後に記しておき たい。1942年、大祖国戦争(第2次大戦)の時であるが、ロシア民族楽器オーケスト ラの本拠地、レニングラードが、ドイツの侵攻を受け、炎に包まれた。
 当然、数々の名器やアンドレーエフの残した保存文献が危険にさらされる訳だが、ソウ゛ィ エト政府はこれらをモスクワへ緊急輸送させ、また名演奏家たちをも招集させた。 モスクワで復活したロシア民族楽器オーケストラによるロシア民謡の演奏は、毎日ラジオ で戦場に流されたらしい。「前線の兵士達は、感動に涙を流しながらも、ナチスの侵攻に立ち向かった」とV.ブグ ロッフスキーは書いている。
 戦時中、ドイツに攻められながらも、ベートーベンの音楽をラジオで流していたという、 この国の芸術に対する国民性には、深く敬意を表したい。

 以上がバラライカの簡単な歴史だが、本場の演奏家たちのこの楽器への愛情、また、普及の熱意には、並々ならないものを感じる。
これは、アンドレーエフの業績に対する、深い感謝と尊敬のあらわれではないだろうか。
 100年前のアンドレーエフの情熱は、今も生き続けている。

バラライカ

primab.jpg 3弦で、三角形の胴をもったロシアを代表する民族楽器。
 音域(大きさ)により、プリマ(E−E−A)、セクンダ(プリマのオクターブ下 A−A−D)、アルト(オクターブ下 E−E−A)、バス(2オクターブ下 E−A−D)、コントラバス(3オクターブ下 E−A−D)の5種からなる。
 独奏に使われるプリマはピック(プレクトラム)を用いず指頭で演奏するため、右手5本の指を駆使したその演奏法は、複雑、難解である。アルトより低い楽器は皮のピックによって、主にリズムがきざまれる。

ドムラ

maraya3.jpg 半球形の胴体で、3弦と4弦(ヴァイオリンと同じ調弦)があるが、 ロシア民族オーケストラでは、主に3弦が用いられる。(写真は3弦)
 調弦はE−A−Dで、音域の高い方から、マーラヤ(小さな)、アルトーバヤ、バソーバヤの3種があり、稀にピッコロも用いられる。
 オーケストラではヴァイオリン的存在で、トレモロ奏法による旋律を受け持つことが多い。 曲、弦との相性によって、べっ甲、プラスティック、樹脂、皮などのピックによって演奏される。
 マンドリンを単弦にしたようなものだが、弦高(弦と指板との距離)が高いため、張りのある、澄んだ音を出すことが可能である。

グースリ

gusuri.jpg ハープを横にして金属弦を張ったような、チター属のロシア琴。中世ロシア時代、スコモローヒ(吟遊詩人〜旅芸人)によって皇帝批判の伴奏楽器として使われていた為 使用することを禁じられ、焼却命令が出された歴史を持つ楽器でもある。
 撥弦型と鍵盤型の2種類があり、それぞれ1台ずつがオーケストラの中央に配置される。古くは小型(翼型と呼ばれている)で膝の上にのせて演奏したが、 現在では、脚が付いて大型になり、30本から60本の弦が張られている。鍵盤型は、楽器の左側に1オクターブの鍵盤が取り付けられており、和音を押さえ、 右手のピックで全ての弦をはじくと、押さえている音だけが出る構造になっている。
 民族オーケストラにおいて、ハープより頻繁に使われ、また、音色も明るく、力強い。

バヤン

 古いロシアのクロマティック・アコーディオン「ガルモーニ」が20世紀初頭に改良、発展されたもので、伝説の名歌手、ボヤーンの名前をとって、バヤンと名付けられた。ガルモーニは大きさによって、ピッコロ、ソプラノ、アルト、バリトン、バス、コントラバスの6種類があったが、バヤン1台で、これら全ての音域を演奏できるようになった。
 右手は鍵盤ではなく、ヨーロッパで盛んなクロマティック・アコーディオンと同じボタン式(配列、奏法は多少違うが)になっている。速い、特に跳躍したパッセージを弾くには、鍵盤アコーディオンより有利である。

管・打楽器

 ロシアに古くから伝わる管楽器として、牧歌的な音色をもった角笛「ジャレイカ」、小鳥のさえずりを想わせる「スビレーリ」、ロシアン・バグパイプともいえる「ヴァリンカ」等があげられるが、 これらは現在の民族オーケストラにおいては民俗色濃い作品での、部分的な効果音程度にしか使われていない。
 まれに、ソプラノ、アルト、テノールの3種からなる「ウラジミール・ホルン」が活躍する作品もあるが、 弦楽器以外では、バヤンに、フルート、オーボエが加わるのが一般的である。
 サンクトペテルブルグのアンドレーエフ記念オーケストラでは、これらに、クラリネット、ファゴット等の木管、 時に金管までも入れることがあるが、ティンパニ、グロッケン、シロフォン等の打楽器同様、 ロシアの民族楽器オーケストラに西欧の楽器を加えることには、古来より賛否両論ある。

TBEの歩み

 1982年、北川つとむによってモスクワから持ち帰られた、珍しいロシアの民族楽器で結成される。発足以来、日本唯一のロシア民族楽器オーケストラとして、「題名のない音楽会」、「ザッツ・ミュージック」、「サタディHOTリクエスト」などのテレビ、ラジオに出演の他、各種演奏会や音楽鑑賞教室等、23年間で500回以上の要請公演を行う。
 本場ロシアでの公演は、92年、93年、ヤロスラブリを中心に開催された国際民族楽器フェスティバルに日本代表として参加。96年、モスクワのチャイコフスキーホール、グネーシン音楽アカデミーホール他にて演奏会を行う。99年はサンクトペテルブルグ「白夜祭」に参加、4公演。01年にも、ヴォルガ河畔の各都市で演奏、A.ツィガンコフ(ドムラ)、V.ザジーギン(バラライカ)との協奏曲や、日本の作品の上演で、その演奏は高い評価を得た。
 近年は、来日するアンサンブルや、ソリストの公演プロデュース、ロシア民族楽器のワーク・ショップ等も手がけている。また、ロシア歌曲を専門とする声楽家や、多くの合唱団の演奏会にゲストとして出演、CD制作にも協力している。

《編成》
正会員30名、準会員6名、客演7名、研究生12名

◎ドムラ          ◎バラライカ
  マーラヤ  :8名     プリマ   :10名
  アルトーバヤ:5名     セクンダ  : 2名
  バソーバヤ :2名     バス    : 3名
                コントラバス: 3名
◎グースリ   :1名   ◎アコーディオン : 2名
◎フルート   :1名   ◎オーボエ    : 1名
◎打楽器    :2名
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